私は少年兵だった。

幼いころただ1人の家族である母親が失踪し、孤児院に入った。
私が13,4歳のころであったか・・・。戦争が始まったのは。
大人の数が足りなくなると、軍部は孤児院から子供を無理やり連れてきて
兵士にした。
子供は物事の呑み込みが早い。そして大人に従順だ。
スパイにもなれるし、自爆だってできる。

私は不幸中の幸いといったところか、自爆にはならなかった。
自爆して敵に傷を負わせられるのは、銃を持って戦えないと
判断された子供たち。

私は敵を撃った。子供の体には少し大きいくらいの思い銃で、何度も。
最初は人を殺すのが苦痛だった。
しかし、慣れてしまった。
心が麻痺し、人を殺すのに苦痛も躊躇いもなくなった。

私は戦争で声を失った。
むごい戦場を見るには、あまりに幼すぎたからであろう。
だけど、声がなくても耳が聞こえれば生き残れる、私はそう自分に言い聞かせた。

やがて戦争は終わった。
やっと戦いから解放された!
―しかし、喜びは束の間であった。

少年兵たちはある精神病院の閉鎖病棟に隔離された。
体よりも、精神の方に傷を負う方が多かったからだろう。
私の入れられた病棟は壁も、床も、どこを見ても真っ白。
人は、そこを「白堊病棟」と呼んだ。
 
最初は病棟のあちこちから耳をつんざくような悲鳴、奇声が聞こえた。
気の狂った奴らが争いを始めて白い床が赤くなったこともあった。
それが、戦争が終わって1年、2年とたっていくうちに患者は減ってきた。
心に平穏を取り戻し、それぞれの家族が迎えにきて、
彼らはあるべき場所へ帰って行った。

そして、白堊病棟には私だけが残った。
私には家族がいない。還る場所がない―。

私の声は依然として戻る気配はない。
戦争のショックで声を失ったなら、わたしの精神は
まだ病み続けている、医師は判断した。

今でもたまに昔の夢を見る。
母親と2人で暮らしていた、幸福だったころの夢。
夢の中で母が私の名前を呼ぶ。
その瞬間目が覚めるのだ。

いまでも私は母親を待っている。
なぜあの時突然いなくなってしまったのかわからない。
そして、いつか夢ではなく本当に母が
私の名を呼び、この腕を引いてまた2人で生きていけると信じている。

頼りない小さな望みを待ち続ける運命、
これがわたしのすべての光なのだ。
白堊病棟をもとに短編小説を書いてみました!
歌詞を自分なりに解釈してみたので、皆さんの思う
白堊病棟とは少し違うと思います。
少年兵の問題は本当に残酷です。
私の文章では伝わり切らないと思いますが
戦争が終わったあとも心に傷を負い続ける人が
大勢いるという事実を忘れないでいてください。
(C) ALI PROJECT Dilettante NET 2013